ブルート通信219 電気も神

有我秀雄 先生
ありがひでお

今月の一言
十割そばを、打ってみました。伸ばした蕎麦を折りたたんで切る際に折れてしまい、今回は短い蕎麦ばかり。蕎麦の香りと味はよかったけど…残念

小俣与葵 先生
おまたよしき

今月の一言
根尾選手プロ初勝利 おめでとうございます!


ブルート通信219
明生人嘉 ~ Myojo Jinka 147 ~
電気は神

 今回は特段大切な話をしたい。私は辞書の旅を通じて、とんでもない事実に気づいてしまった。今日まで十三年間ほぼ毎日辞書を読み続けてきた末に辿り着いた見解である。

結論としては、我々は電気を扱える時点で神に限りなく近い存在になっている、ということだ。また、電気の通じる土地は、極楽、または天国と言ってもいい。そう考えると現代の日本に住む私たちは、極めて恵まれた環境に生きている。

歴史は 幸福の輪郭

水道の水で産湯(うぶゆ)を使う、という諺(ことわざ)を知っているだろうか。
私は辞書を読むまで知らなかった。江戸時代の江戸っ子が自分の生まれを自慢していった言葉で、莫大な費用と手間をかけて造った自慢の水道だったからだそう。

水道の水が普通、あるいは当前の状態でないから、わざわざ「水道の」という修飾語をつけて赤ちゃんを洗う贅沢を有り難く思ったのだろう。しかも、それを使えたのは、まだ東京だけだったという衝撃。隣の隣の駅の大都会、我らが尾張名古屋でも、まだピロリ菌やら雑菌の多い井戸水や河川の水を当たり前のように使っていたということになる。

江戸から東京に呼び名が変わった頃、電気も使えるようになった。それから人間はとんでもない力を得た。神の力を手にしたといっても過言ではない。そしてその使い方を学び、発展させ、ついには日常の隅々にまで行き渡らさせた。電気は、人間界を極楽へと一時的に変えている。

まず、水道と電気を当たり前にしてしまった。蛇口をひねれば安心して飲める水が出る。ボタンを押せば、お湯が勝手に湯船に溜まる。ついには「もうすぐお風呂がわきますよ」と電気が過保護に知らせてくれる。

私は、自分の意志でお風呂に浸かりたい。だから風呂掃除をやった際には、身体を洗ったあと、ゼロスタートで正座して湯船に入る。季節は問わない。真冬であっても、私はお湯の満ちゆく時を待つ。

お湯が下から溜まってくると、順に身体を温め、だんだんと幸せな気分を味わえる。最初に少し寒い思いをしたおかげで格別である。腰まで来ればもう勝ったようなもので、冷えた上半身も温まってくる。

キックボクシングの現役時代、負担の少ない半身浴でよく減量をしていたが、本を読みながら入れば、汗はかなり出た。

今振り返ると、過酷な減量は本当に必要だったかな、という気持ちもある。しかし食べ物に困らない時代に、擬似的にでも飢餓状態を経験できたことは良かった。現代人は基本的に食べ過ぎということを自覚しておきたい。ひとまずは一食食べられれば、命は繋げられる。そう思い込めば、残りの二食はエンターテイメントであり、極楽気分で有り難く味わえる。

電気も神

人々が電気を扱い、思い通りに操るうちに、インターネットも生まれた。電話回線などでPCと直接繋げていたものを、人はさらに電気の力を駆使して、Wi-Fiなる無線技術で空間に繋げるようにまで世の中を便利にした。近い将来、その電気も天から降ってくるようだ。もはや、笑うしかない。

公衆電話に並んでテレホンカードを入れ、ポケベルで連絡を取っていたものが、今や金属の板きれ一枚で、目の前にいるかのような感覚でリアルタイムで筆読したり、目の前に映し出されたりもする。とんでもないことである。昔の人が見たら間違いなく、私たちを神だと思うことだろう。掌から光って見えたのは、スマホの光明だったかもしれない。

言葉は超能力

言葉を操っている時点で、私たちはとうの昔からテレパシーを実現していた。たとえば、「ありがとう」。今、この言葉を読んだあなたは、私の「ありがとう」の気持ちを受け取っている。これもまた、人間がすでに神通力を持っている証である。現代の日本では教育も当たり前過ぎて、多くの人が気づいていない。読み書きは、他のどの動物も真似できない。

たとえば、看板。作り手の思いが、その言葉に載って一日中発せられている。ただしそのテレパシーを受け取ることができるのは、その看板を見ることと、その意図を理解できる人だ。互いのチャンネルが合っていないと伝わらない。そう考えると、色褪せた新瑞橋の看板もそろそろ新しくしたい。

極楽浄土では、食べたい時に食べ物が目の前に現れるという。だがそれも実現している。スマホをタップすれば、インターホンが鳴り、食べ物が送られてくる。今は人力だが、AIの発達で無人配達も実現するだろう。しかし、そこまで便利になってくると、良いのか悪いのか、人の心はどんどんと細やかになり、小さなことで心を大きく悩ませるようになる。たとえば、スマホの充電が切れた、とか。

電気が無くなれば、スマホも文鎮と化し、AIも返事しなくなる。つまり、人は神ではなくなり、人間に戻る。おそらく、現代の人は電気を失うと地獄に落ちたと感じるだろう。

私は、異なる考えを持つように心がけている。電気を贅沢に使える現在が極楽で、思うように使えないのは、元ある場所の人間界に戻っただけではないか。電気は、人に人間以上の力を与えた。弱き命を蘇らせ、守り、非力な人でも力仕事ができるようになった。行こうと思えば瞬時に世界中へ意識を飛ばせ、家事の負担も驚異的に減らした。

便利は天国、不便は地獄

ほとんど電気のおかげで、今の豊かな生活を送ることができていることを認識したい。これは現代における貧富の差は関係ない。たとえ今、家にエアコンがなくとも、モールへ行けば極楽を味わえる。しかしそもそもエアコンのない時代では、世界一の富豪でもその恩恵を味わえない。それを知った上で、我々は快く過去に移り住めるのか、という話である。

私は一兆円もらっても、水道や電気のない過去には住みたくない。タイムマシンができた時、死刑の次に厳しい刑罰は、電気のない時代に飛ばされる流刑でいいのではないか。そして未来もわからないから、基本的には現在を生きるのが安心だし、何者かを信じている限り、期待もできる。

もちろん旅行でなら、過去にも未来にも行きたい。そして現在に戻り、夜でも明るい風呂に入り、防水仕様のスマホから上質な音質で仕上がった自作の音楽を聴き、満タンの湯船に肩まで浸かるのである。これは奇跡だぞ。

「ああ、極楽極楽」

人類は有史以来、便利さを刷新し続けてきた稀有な生き物だ。そして今や人は、神の領域に確実に足を踏み入れている。その力の正体は、電気である。あるいは神通力とも、あるいは魔法とも、あるいは超能力と呼んでもいい。

私たちは、生活が不便になることを恐れている。だがこの先どうなるかわからないので、いつでも電気は捨ててやる、という覚悟くらいは持っておきたい。そんな思いを、私は電気という神通力を存分に駆使して、テレパシーを発している。

佐藤嘉洋